疑問を追い、議論を楽しみ、
多体問題を解く


大阪大学量子情報・量子生命研究センター 准教授
上田 宏
博士に憧れ、ものづくりから研究の道へ
小さい頃から、漠然と“博士”になりたいという夢を持っていました。子ども向けのテレビ番組をよく観ていましたが、最前線で活躍するヒーローよりも、彼らを助ける便利アイテムを作る博士の方にしばしば惹かれるものがありました。「目立たないけれど、ひっそりとすごいものを作っている」──そんな存在に憧れたのだと思います。今思うと、その頃の私にとっての“博士”は、研究者というより発明家に近かったのかもしれません。もともとモノづくりが好きだったこともあり、夢に一歩でも近づきたいと思って、高専への進学を選びました。
高専では、実際に手を動かす実習が多く、自分の興味にぴったりの環境でした。ただ、学びを深めていくうちに、次第に「どう使うか」よりも「なぜそうなるのか」という仕組みの方に、より強く関心を持つようになっていきました。勉強をしていると、誰しも「なぜだろう?」と引っかかる瞬間があると思います。私にとって、その引っかかりのひとつで、とても印象的だったのが、高専で出会った“半導体”でした。右からは電流が流れるのに、左からは流れない。「とても小さな素子なのに、なぜ一方向にしか電流が流れないのか?」と不思議でなりませんでした。ものづくりの現場では、「どう上手く使うか」が比較的重視されることが多く、そうした疑問には深入りせずに先に進むことが求められる場面もあります。けれども、どうしてもそれらの仕組みの根本を理解したくなり、大学に編入学して物性物理を学ぶ道を選ぶことにしました。
大学では、”希薄磁性半導体”に対する理論研究への関心から、鈴木直先生と草部浩一先生で主宰されている研究室に所属しました。ただ、実際に研究を始めてみると、半導体の性質よりも、磁性という現象そのものの仕組みに強く惹かれるようになり、量子スピン模型を用いた磁性のモデル計算へと研究の軸足を移しました。その後、指導教官であった草部浩一先生に加え、共同研究者の兵庫県立大の中野博生先生や神戸大学の西野友年先生らとの議論を通じて、興味の対象が「テンソルネットワーク法」や「数値対角化」といった多体系の解析に有効な手法の開発へと向かっていきました。これらは、現在の研究テーマの源流となっています。
議論することで広がる研究の楽しみ
理論研究の魅力のひとつは、場所を選ばずに取り組めることです。私自身も研究について考えるのが好きなので、隙間時間があれば自然と頭の中で思考を巡らせています。考えを重ねた先に、まだ誰も知らない事実に最初に辿り着けるかもしれない──それこそが、理論研究ならではの醍醐味だと思います。
また、得られた研究成果をもとに他の研究者と議論できることも、研究の楽しみのひとつです。特に思い出深いのが、学位取得後に初めてポスドクで着任した、理化学研究所・和光キャンパスでの3年間です。私が所属した古崎昭さんが主宰する物性理論研究室には同世代の優秀な研究者が多く集まっていました。日常的に自然と議論できる環境が用意されていたことに加え、当時は酒好きのメンバーも複数いたので、金曜日の夜には居酒屋に流れ込むまでよく議論していました。自分では気づけない“思考のバグ”を認識するためには、他の研究者と議論を重ねて頭の中を整理することがとても重要です。ひらめきや新たな視点をもらえることももちろん多く、何よりそうしたやり取りそのものが楽しめた時期でもありました。若い頃に多くの優秀な研究者と議論できたことは貴重な財産になっています。
さらに、他の研究者と議論を重ねることは、自分自身を客観的に見つめ直すためにも重要です。自分の強みや弱みは何か、どの分野で勝負できるのか──そうした問いに向き合う中で、私自身は、テンソルネットワーク法にスーパーコンピュータや量子コンピュータの自由度を組み合わせることで、計算物理における自分なりの道を切り開くことができたように感じています。この道のりの中で、多くの優秀な研究者の方々と出会いました。現在では彼らとチームを作り、一人では取り組むことが難しい高度な研究課題に挑戦しています。プロジェクトの規模が次第に大きくなるにつれて、自分ひとりでじっくり研究に向き合える時間は少なくなってきた面もありますが、チームで大きな課題に取り組めることは、感覚的にはRPGで適切なパーティーを組んで冒険に出かけるようなもので、それ自体もとても楽しめています。
将来的に、たとえ誤り訂正型量子コンピュータが実現したとしても、多体系の物理の理解には終わりがないと感じています。むしろ、新たな問いが次々と生まれ続けるのではないでしょうか。そのような問いに対して、これまで培ってきた知見やネットワークを活かしながら、これからも研究活動を続けていきたいと考えています。
小さな成果が未来を拓く
私の経験から、若い方々へお伝えできることとして、小さなステップでも構わないので、論文をこまめに出す事をおすすめします。消極的な言い方かもしれませんが、実際のところ、どのステップが後のビッグステップにつながるのかは、あらかじめ予測することができません。たとえば、かつて”量子”の研究に携わっていた方々が、現在のような社会実装のレベルでの広がりを予想できていたとは思えません。だからこそ、どのような分野であれ、今は小さい成果に見えるかもしれませんが、着実に積み重ねていくことが重要だと実感しています。
将来どうなるかわからないという点では、研究分野だけでなく人との出会いも同様です。私自身、学振PDの時に現在QIQB副センター長の藤井さん、根来さんらと基礎工学研究科で所属が重なっていた時期がありますが、まさか今こうして同じQIQBで研究するとは当時は想像もしていませんでした。人との出会いは、本当にどこでどのように再びつながるかわかりません。だからこそ、それぞれの出会いを大事にし、いつも相手にリスペクトを持って誠実に向き合うことが大切だと思っています。たくさんの人と出会い、議論する機会を増やすためには、やはりこまめに成果を出して、学会発表や出張のチャンスを得ることが有効です。
最後に、ありきたりなことかもしれませんが、研究を長く、そして楽しく続けていくためには、何よりも健康が一番大切です。自分のペースを大切にしながら、日々の研究を楽しんでください。
コラム
Column
一番印象に残っている旅先は?
2024年に家族で訪れたハワイです。本当は5年前に行く予定だったのですが、新型コロナウイルスの影響で断念した経緯があり、今回無事にリベンジできました。子どもたちには、幼い頃に海外を体験させたいと思っていたので、実現できて本当に良かったです。子どもたちは『1月なのに暖かい!』と驚いていました。

お気に入りの言葉はありますか?
「人間は努力する限り迷うものだ。」──ゲーテの言葉です。中学生のころ、習字の先生が贈ってくれた言葉なのですが、今でも大切にしています。迷いは成長の一部であり、努力を続けることで新しい道が見えてくる。そんな感覚が、研究にも通じるところがあると感じています。
プロフィール
Profile
上田 宏 UEDA Hiroshi
大阪大学量子情報・量子生命研究センター 准教授
博士(理学)。理化学研究所特別研究員、明治大学助教、理化学研究所計算科学研究機構(現:計算科学研究センター)研究員を経て2020年大阪大学量子情報・量子生命研究センター特任准教授として着任。2022年より准教授。現在に至る。
掲載日:2025年6月2日/取材日:2025年2月10日 内容や経歴は取材当時のものです。
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お話を伺って
お話を伺う際、先生自ら資料を作成してくださり、万全の準備を整えてくださいました。 自分一人で思索すること、誰かと議論すること、そしてチームをマネジメントすること。研究に関わる全てを楽しんでいらっしゃるのが印象的でした。(岸本、吉澤、加藤)