「好き」が原動力 ― ディスカッションを楽しむアカデミア人生


大阪大学大学院理学研究科 教授(栄誉教授)
越野 幹人
“サザエさん症候群”知らず
物理が面白いと思ったのは、大学生になってからでした。思い起こせば子どもの頃は、宇宙や自然界の法則に特別な疑問を抱くということもなく、幼稚園時代はバスに夢中、小学生の頃は鉄道オタク。魚へんの漢字や普段使われないような旧字体も好きでした。中学でも理科が特別好きだったわけではなく、高校物理は、高校で教わる数学の範囲が限られていたため仕方ないのですが、物理の全体像が見えず、頑張って解いていましたけど、本当の原理はよくわからないなと思っていました。ところが、大学に入ると使える数学の幅が広がり、物理の体系が見えてきて、そこで初めて物理を美しい学問だと感じたのです。ロケットのかっこよさに惹かれ、航空宇宙工学に興味を持った時期もありましたが、「もうちょっと物理を勉強してみたいな」と思い、最終的に物理学科を選びました。それを職業にするとは、当時まったく想像していませんでしたが。
物理学には理論と実験がありますが、僕は理論の道を選びました。大学院では、所属研究室の教授が放任主義だったため、自分なりに研究テーマを模索して取り組むことに。当時は必死にテーマを考えました。今思えばそれが良い経験になったのですが。試行錯誤を重ねるうちに、気がつけば研究が面白くなり、そのまま博士課程へ。それ以来ずっとアカデミアの世界一筋です。研究を続けるモチベーションは、単純に「好きだから」。日曜日の夕方になると憂鬱になる“サザエさん症候群”という言葉がありますが、僕は幸運にもそう感じたことがほとんどありません。研究はやりたくてやっていることなので、あまりストレスを感じることもないのです。日曜の夕方が嫌じゃないというのは、僕が研究者という職をおすすめしたい理由の一つです。
研究の醍醐味は仲間とのディスカッション
僕の研究グループでは、2次元物質の理論的な研究を行っています。2次元物質とは、原子1個分から数個分の厚みしかない極めて薄い物質で、その特性を活かせば、新しい機能を持つ材料の開発が可能になります。このような物質の存在は古くから理論的に考えられていたのですが、実験的に確認するのは難しいとされていました。ところが、2004年にグラファイト(鉛筆の芯の材料)をセロハンテープで剥がすという単純な手法で、原子1個分の炭素シート(グラフェン)が単離されるという画期的な発見があり、研究者たちを驚かせました。ちょうどその頃、僕は別のマニアックな研究に没頭するあまり、少し行き詰まりを感じていたところでした。もともとカーボンナノチューブを広げた構造を研究していたこともあり、グラフェンの発見をきっかけに、2次元物質研究に取り組むことを決意。実際に2次元物質の計算を進めてみると、実験研究者が注目するような結果が得られ、理論の予測が実験結果と結びつきました。そのとき、物理はこうあるべきだと思い、それまで概念的なことをやっていたのですが、実際の物質を扱う研究スタイルに切り替えることにしました。
2007年には、コロンビア大学の2次元物質研究で世界的に知られる実験物理の研究室に留学する機会を得ました。日本から来た理論物理の研究者ということで珍しがられ、現地の研究者たちから「ちょっとこれを見てくれないか」と、よく声をかけられたものです。当時一緒に研究に取り組んでいた仲間たちは、今では各分野でトップ研究者となり、中にはノーベル賞候補と目される人もいます。彼らとのつながりは続いていて、現在の研究活動にも良い影響を与えてくれています。振り返ってみると、あの時期にそうした優秀な人たちと出会い、共に研究できたことは幸運でした。
研究は、一人で考えるよりも、研究者や学生たちと賑やかにディスカッションしながら進めるほうがずっと楽しく感じられます。自分だけでは思いつかないようなアイデアが生まれますし、学生たちの成長が研究成果に結びつき、驚かされることも少なくありません。まだまだ挑戦したいテーマは尽きないので、もっと自分の研究時間と学生たちとディスカッションを重ねる時間が欲しいですね。
「好き」を大切に
もしアカデミアに進むかどうか悩んでいる学生さんがいたら、能力の有無も大事ですが、それ以上に「それが好きなことですか?」と自分に問いかけてみてほしいです。ノーベル賞を目指したい、研究者という存在に憧れるなど、学術的な成功を夢見みて研究職を志すのは素晴らしいことです。しかし、実際の研究は地道な積み重ねの連続なので、計算など日頃の作業が好きでなければただの地獄になってしまいます。だからこそ、日々の作業を楽しめるかどうかが重要です。与えられたものを頑張ることも大切ですが、それだけではなく、自分が好きになれるものを探すことから始めてみるのも良いアプローチだと思います。もちろん、最初から自分で自由に研究テーマを決めるのは難しいので、与えられた課題をもとに研究を進めることになりますが、それを足がかりにしながら、自分の興味が向く方向へと研究を広げていくのが理想的です。
好きなことは理屈ではなく感覚的に決まることが多いですよね。例えば、小さいころにバスが好きだったように。どんな仕事にも共通することかもしれませんが、好きなことを日々のルーティーンにできる環境を選ぶことは、充実したキャリアを築く上で欠かせない要素の一つだと思います。
コラム
Column
阪大周辺で好きな場所は?
自転車で豊中キャンパス近くの川沿いを走るのが好きです。少し行けば猪名川に出て、伊丹空港の飛行機が見える。さらに進むと神崎川や淀川を越えて市内へと抜けることもできる。少し走るだけで、いろんな風景に出会えるところが、関東出身の僕が大阪を好きな理由のひとつです。豊中キャンパス最寄りの石橋駅周辺も好きな場所です。居酒屋、焼き肉店、串カツ屋などの小さくて個性的なお店があって、宝箱みたいでワクワクします。
ストレス解消法は?
ピアノを弾くことです。独学ですが、遊ぶような感覚で楽しんでいて、弾いていると良い気分転換になります。ただ、研究室にはピアノがないので、研究室ではコーヒーを飲むことでリフレッシュしています。
プロフィール
Profile
越野 幹人 KOSHINO Mikito
大阪大学大学院理学研究科 教授(栄誉教授)
博士(理学)。東京工業大学助教、東北大学准教授を経て、2016年に大阪大学大学院理学研究科教授に就任。2019年大阪大学栄誉教授の称号付与。現在に至る。
掲載日:2025年5月2日/取材日:2025年2月6日 内容や経歴は取材当時のものです。
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お話を伺って
研究室に足を踏み入れると、まず目に飛び込んできたのは数式がびっしり書かれたホワイトボード。インタビュー前に研究室のメンバーと3時間ほどグラフェンに関する計算をされていたとのことでした。「これが結構面白いんです」とその様子をとても楽しそうに語ってくださる先生の姿から、研究を心から楽しんでいる様子が伝わりました。また、お話しの中で触れられた「それが好きなことですか?」という問いは、深く考えさせられるものでした。普段、自分自身に問いかける機会は意外と少ないものの、本当に大切にすべきことは、このシンプルな問いの中にあるのかもしれません。(古谷、加藤)