生命発生のループを体外培養で再構成-受精の不思議を切り拓く


大阪大学大学院医学系研究科 教授
林 克彦
生命発生の不思議に触れて研究者の道へ
中学生のときにドリーの一世代前のクローン動物のニュースを見て、いわゆるバイオテクノロジーによって生命を生み出せることに衝撃を受けました。叔父が牧場を経営していたこともあり、このような最新のテクノロジーを組み合わせた畜産家になりたいと思い農学部に入ったのです。ところが、いざ大学に入ってみると教養ばかりで、いつまでたっても畜産の専門的なことができなかった。そこで大学2年生の夏に自主研修という形で叔父の牧場で働かせてもらったんです。実際に働いてみるとそこは体力勝負の世界。最新技術を入れるような余地も予算もないという現実に、中学からの淡い夢はもろくも崩れ去りました。失意のまま大学に帰ってきたのですが、ちょうどそのタイミングで体外受精の実習を受けました。そこで生命発生の不思議に触れ、感動したのです。肉眼で見えないほど小さな、形の全く違う細胞を一緒にしておくと自然に近づいて受精する。培養すると1日経ったら2つに割れて、もう1日経ったら4つに割れてと勝手に進化していく。当時の僕にとってすごく新鮮でしたね。それを見て自分もこういうところを突き詰めていきたいなと思いました。
その後博士前期課程では配偶子や初期胚に遺伝子の改変を行う研究でマイクロマニピュレーションを扱っていました。今でこそCRISPR/Cas9システムで簡単にできますが、当時は結構難しいその技術を私が扱えたことがきっかけとなり、当時の東京理科大学生命科学研究所の所長だった多田富雄先生に声をかけていただきました。ただ免疫の研究所だったので、生殖細胞を専門にやってきた僕にとっては覚えることが多く苦労しました。その分、日々成長している実感もあり楽しかったですね。
生殖細胞研究の醍醐味と到達点
学生のときから生殖細胞の研究を続けています。それは生殖細胞にしかできないことがあるという理由からなんですね。普通の細胞は老化して死んでしまうのですが、生殖細胞では受精卵が発生を通して新しい受精卵を作り出すことができるんです。受精という現象はこのサイクルの中のスナップショットになるのですが、じゃあ受精までの過程はどうなのだろうか。生殖細胞がどうやってできてくるかを見たいと思い、発生学の分野の研究をしています。研究を進める中では、例えば配偶子をつくるメカニズムやそれを再現するための最適な培養条件が見つかったときが喜びですね。仮説が正しいと実証できたときです。そんなことはほとんどなく、9割5分以上外れますけど。そこで結果を素直に受け止めて考察すると次の可能性が見えてきて、続けていくと最終的に辻褄が合う。その瞬間は非常に腑に落ちて快感ですね。一方でどんな実験や培養でも全然上手くいかず、大きな壁にぶつかるときもあります。そういうときはもう割り切って、睡眠をとってメンタルをリセットします。そのあとは論文を読んだり、視点の違う人とディスカッションしたりして新しい条件を模索します。自分の実験は自分が一番よくわかっていると思うかもしれませんが、ほかの人に相談してみると全然違う視点から意見をいただけるので、人に相談するのはとても大事です。
現在行っている研究の一つの到達点として、受精までの過程を体外培養で再構成するということがあります。これまでの研究で見えてきたところもありますが、まだ見えていないところもあるので、まずその全容を見たいなというのが研究のモチベーションですね。全容が見えたら今度は本当に生体内と品質が同等の精子とか卵子を創りたいと思っています。今はマウスで行っていますが、いろいろな動物でも試してみたいですね。それらの成果の一つとして、個体を作成するという応用研究があってもいいかなと思っていますが、配偶子がどのようにできあがるかのメカニズム、すなわち基礎研究に強い興味があります。特に生殖細胞では基礎研究の積み重ねがないと、体外で作られた配偶子が本当にいいものかどうかが担保できないので、やっぱり基礎研究が大事かなと。
研究は自由な芸術だ!
研究はある意味芸術みたいなもので、基本的に何やってもいいんです。個人のアプローチはそれぞれ違いますし、いろいろなアプローチがあって、どれを選んでもいい。最終的に真理に近づければそれでいいので、そういう意味では非常に広がりがあるし、自由です。皆さんにはその自由な研究というものを謳歌してほしいですね。当然うまくいかないことってたくさんあると思うんですけど、それは神様の創造物に我々の想像力が足りなかっただけで、もっと考えをめぐらせればちゃんと理解することができる。ですので、壁にぶつかっても落ち込まずに、粘り強く頑張ってほしいなと思います。論文だってその人が考えていることの経緯がそこに記されているわけなので、基本的には作品なんです。そういう意味でも研究は本当に芸術で、恩師の多田先生も仰っていたのですが、とにかく自由に、発想を柔軟に持って研究に取り組んでほしいですね。
コラム
Column
おすすめの本は?
アンジャン・チャタジー著/田沢恭子訳『なぜ人はアートを楽しむように進化したのか』。生命科学、特に生殖の立場からすると、進化における選択は何らかのアドバンテージがあることが前提です。では何故アートというものはこの世に残っているのか。この本では脳科学的にアートというものをどのような認識で受け止めているかということが書かれています。脳科学的な美の認識、アルゴリズムが書かれていて、結構面白いです。
印象に残っている旅先は?
どこか1箇所だけ選んで行っていいよと言われたら、バルセロナですかね。食べ物もおいしいし、街の文化や雰囲気がとにかく人生を楽しむようなスタイルになっている。
プロフィール
Profile
林 克彦 HAYASHI Katsuhiko
大阪大学大学院医学系研究科 教授
博士(理学)。1994年明治大学農学部卒業後、東京理科大学生命科学研究所助手を経て、2004年東京理科大学にて博士取得。その後、2005年ケンブリッジ大学ガードン研究所博士研究員、2009年京都大学医学研究科講師、同准教授、2014年九州大学医学研究院教授を経て、2021年大阪大学医学系研究科教授に就任。現在に至る。
掲載日:2025年6月30日/取材日:2025年3月4日 内容や経歴は取材当時のものです。
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お話を伺って
林先生の居室に入ると、まず壁一面のホワイトボードを埋め尽くす文字や数式とびっしり書かれたメモ書きに圧倒されます。教員や学生と日々ディスカッションを重ねて研究を進めている様子がありありと伝わってきました。お話を伺っている最中も、我々の些細な疑問に丁寧に対応してくださいました。自身の研究だけでなく、若手の育成にも積極的に取り組んでいらっしゃることを感じ、感銘を受けました。(吉澤、岸本)