#023

伝統のあたりまえを疑い、雅楽の「今」を語る

鈴木 聖子

大阪大学大学院人文学研究科 准教授

鈴木 聖子

演奏家から研究者へ

私はもともと雅楽の演奏家でした。2000年代に入った頃、小学校の音楽授業に伝統音楽を取り入れようとする取り組みが進み、私たち雅楽団員も学校へ出向いて演奏する機会を得るようになりました。その際、子どもたちに「雅楽は昔から変わることなく、千年以上続いてきた音楽です」と説明する場面があったのですが、正直に言えば、心の中では「本当にそう言い切っていいのだろうか」という疑問を抱いていました。
雅楽は、型を受け継ぎ、その型に基づいて演奏される音楽です。しかし、演奏がうまくいく日もあれば、思うようにいかない日もありますし、奏者それぞれの個性によって表現が異なることもあります。つまり、「変わらない伝統」という理想と、実際の演奏のあり方とのあいだには、大きな隔たりがあるのです。そうした現実を前にしながら、「雅楽は変わらない音楽だから優れている。だから聴きなさい」と大人が子どもたちに一方的に押し付ける姿勢には、どうしても違和感を覚えました。

当時、当然のものとされていた雅楽の定義に疑問を抱くなかで、日本の音楽学・民族音楽学の創始者の一人であり、雅楽研究の基礎を築いた研究者である田辺尚雄氏の存在を知りました。研究者はどのような視点で雅楽に向き合っていたのか—そうした問いが私の中に芽生え、やがて、音楽そのものよりも、音楽を研究する人々の姿勢や考え方に惹かれていきました。
私には雅楽の演奏家として生涯を全うするという選択肢もあったのですが、自らの内に芽生えた問いに向き合ううちに研究の道に進むことになったのです。

(1988年にビクターから刊行された民族音楽コレクションのVHDディスクです。機械(デッキ)にディスクの中身が吸い込まれる様子は、まるで内臓が出てくるような感じで衝撃的です。ここ数年は、このような様々なメディアに記録されることで変化も定着もする伝統音楽の姿を検証する授業をしてきました。)

現代の視点から雅楽を捉える

私にとって芸術の魅力とは、同じ題材をどのように表現するかという問いに対して答えが一つに定まるものではなく、多様な表現が生まれるところにあります。雅楽をどのように語り、どのように解説していくのかを考えるとき、特に、現在まさに演奏に携わっている人々が、どんな思いや考えを抱きながら雅楽に向き合っているのかを捉えることが重要だと感じています。

なぜ現代の人々が、昔の音楽を演奏したいと感じるのか。この問いを掘り下げなければ、研究の世界では雅楽がますます「ありがたいもの」「質の高いもの」として固定化され、一般の人々が楽しむ雅楽とは切り離された形で保存されてしまう危険があります。雅楽の研究者である自分自身が、そうした流れに加担することは避けたいと考えています。
そうした問題意識から、私は現在、現代の演奏者たちへ積極的にインタビューを行っています。興味深いのは、漫画やコスプレを入り口として雅楽の世界に足を踏み入れて演奏者になる人もいることです。私が注目しているのは、現代に生きる人々が雅楽に寄せる思いや、その向き合い方そのものなのです。

舗装路より、あえて泥道を歩く

もし目の前に「舗装された道」と「泥道」の二つの道があるとしたら、私はあえて泥道を選ぶタイプです。舗装された道は、どこか退屈に感じてしまいます。泥道を歩いていると、周囲の人たちが軽やかに舗装路を進んでいくのが見えます。その姿を見ていいなと思う瞬間がないわけではありませんが、自分にはその道が向いていないとも分かっているので、悔やむことも挫折感を覚えることもありません。
私の研究生活は常に崖っぷちに立たされているような状況からのスタートでした。それでも何とかバランスを取りながら進むうちに、少しずつ自分なりの道が拓けてきたのです。その過程で目にする景色や、予測できない出来事との出会い、そこから生まれる発見の喜び、そして第二の家族のようになる人たちとのめぐり逢いは、何ものにも代えがたいものがあります。
私にとって、アイデアが生まれるのはいつも泥道の上。むしろ、危険が排除されたきれいに整備された道のほうが、思考が止まってしまいそうで、かえって危うく感じるのです。

そうした感覚があるからこそ、自分がどのような足場に立って研究をしているのかを常に意識していたいと考えています。科学という営みには、必ず人間の主観が入り込み、決して「純粋で中立なもの」ではありません。だからこそ、今ある知識や枠組みが「どのような背景や前提のもとに作られてきたのか」を意識することが重要です。そうした前提を踏まえてこそ、用意された枠組みにとどまらず、自らの足で立ち、本質を問いただすことができるのだと思います。
与えられた情報を鵜呑みにせず、自分が見ているものを疑い、自分の立ち位置を問い続ける。そして、それを自分自身の頭で考え抜いてほしい—そんな願いを胸に、日々学生たちとの授業に向き合っています。

コラム

Column

研究室のお気に入りのものは何ですか?

ソプラノ琴です。これは、私の父が作ったものです。1960~70年代の初頭、琴を弾きたい人がたくさんいたのに、職人さんの数も桐材も減少して、琴の数自体が不足していました。通常は木をくりぬいて作る琴ですが、ウクレレやギターを製造する工場で合板の琴を大量生産していました。合板とはいえ、木目や音響にかなりのこだわりが見られます。
このソプラノ琴は四重奏が楽しめるように特別につくられたもので、普通の琴の半分ほどのサイズです。アンプにつなぐこともできますし、ビートルズやラテン音楽を弾いたレコードなどもリリースしていました。

大阪大学の魅力

阪大に来る前、私はフランスで教鞭をとっていました。2020年3月、ちょうどコロナ禍が始まる頃に日本へ戻り、大阪での生活が始まりました。コロナ禍は辛かったです。オンライン授業では、画面越しに静まり返る学生たちを前に、寂しさを感じることもありました。けれども、授業後のコメントシートを通して、学生たちがその静けさの裏で多くの熱い思いを抱いていることに気づかされました。
阪大の魅力は、授業が少人数で行われるからこそ、そうした内に秘めた熱意や魂を共有し、お互いに交換することができるところだと思います。

プロフィール

Profile

鈴木 聖子 SUZUKI Seiko

大阪大学大学院人文学研究科 准教授
博士(文学)。パリ社会科学高等研究院 EHESS – École des hautes études en sciences sociales(音楽学)とパリ・ディドロ(パリ第七)大学大学院(日本学)に留学後、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程(文化資源学)単位取得退学、東京大学東京大学大学院人文社会系研究科附属次世代人文学開発センター特別研究員、パリ大学東アジア言語文化学部日本学科・助教。2020年大阪大学大学院文学研究科音楽学コース・助教、アートメディア論コース・助教を経て、2024年より同研究科准教授。現在に至る。

掲載日:2026年3月6日/取材日:2025年5月13日 内容や経歴は取材当時のものです。

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